
認知症の末期になると、食事を一切食べようをしない方がいます。
食べ物を口元に持っていっても、口を開かなかったり、口が開いて食べ物が口の中に入っても、飲みこまず、ひどい場合吐き出されることもあります。
ありとあらゆる手段を主治医、看護師、ご家族と検討しても、改善の余地がない場合は、「口から食べられない」と診断されます。
こうなった場合、主治医から以下の4つの選択肢が示されることが多いです
- 鼻からチューブを入れて栄養を入れる
- 胃ろうを造って栄養を入れる
- 点滴で高カロリーの輸液を入れる
- 何もしない(最低限の補液だけする場合も含む)
本人が認知症の場合は自分で判断することは難しいため、ご家族が選択することになると思いますが、この選択は非常に悩ましいものです。
上の3つは延命治療になり、一度始めるとなかなか今度は止めることが出来ません。
かといって、何もしないという選択も見殺しにしているような気持ちになります。
医療の発展のおかげで、治療によっていくらでも命を永らえさせることが出来るようになってしまったがために、このような状況での悩みが発生しているのかもしれません。
本来、「死」は誰にでも最後に起こるものであり、一昔前は口から食べられなくなれば、徐々に体力が落ち、動けなくなって、穏やかに死んでいくのが自然の人間の姿でした。
ここでは、認知症で口から全く食べられなくなった時、胃ろうや鼻チューブ、点滴などの延命治療を選択しなかった場合に、どういう状況になるのかお伝えしたいと思います。
口から食べられなくなった時、胃ろうや鼻チューブ、点滴で栄養を摂る場合についてはこちらの記事をご覧ください。
『「平穏死」のすすめ』より
「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか (講談社文庫)
※amazonリンクにとびます
これは、特別養護老人ホーム(以下特養) 芦花ホームの常勤医、石飛幸三氏が書かれた本です。
石飛氏が勤務する芦花ホームでは、入所者が口から食べられなくなったらその方の寿命と考え、点滴などはせず穏やかに看取りをしています。
もちろんそのために、スタッフと家族と、どのように看取りをしていくか何度も話し合いもされるそうです。
具体的には
- 過剰な栄養や水分は入れない
- 経管栄養はしない
- 口腔ケアをしっかりする
もし、延命治療をしない場合に、どのような形で看取ることになるのか、この本には次のように書かれています。
入所者が食べられなくなってからの最後の数日間の様子を見ていると、喉の渇きや空腹を訴える方に出会ったことがありません。何も体に入っていないのにおしっこが出ます。自分の体の中を整理整頓しているかのようです。ある人はこれを氷が溶けて水になっていくのと同じで、体が死になじんでいく過程だと言います。このような状態では体から自然に麻薬用物質であるエンドルフィンが出ると言われています。だから苦痛がないのだと言います。私にはその感じがよく判ります。せっかく楽に自然に逝けるものを、点滴や経管栄養や酸素吸入で無理矢理叱咤激励して頑張らせる。顔や手足は水膨れです。我々は医療に依存し過ぎたあまり、自然の摂理を忘れているのではないでしょうか。
引用元:石飛幸三著 『口から食べられなくなったらどうしますか「平穏死」のすすめ』
延命治療をしない場合
本人にとっては
苦しまず、穏やかに逝くことができる。
家族にとっては
芦花ホームで家族を看取った方々からは、その後感謝の手紙が多く寄せられるのだそうです。
スタッフ側が何度も看取りについてご家族と話し合うことによって、ご家族も看取るということを理解し、覚悟を決めたうえでの看取りとなるため、家族にとっても一つの達成感、安堵感を感じられることが多いようです。
また、ただでさえ長期間にわたる介護生活を延命治療によって長引かせなかったことによって、入院費や治療費が抑えられるだけではなく、家族の精神的負担も減らすことが出来ます。
社会的には
延命治療のために入院し、病院のベッドを埋めてしまうことになると、本当に治療が必要な患者の治療が出来なくなってしまうこともあります。
また、治療に莫大な医療費がかかってしまいます。
延命治療をしても、しなくても選択は自由
ここからは私つばめ個人の意見です。
延命治療を選択するか、しないかは、1番は本人の意思が尊重されるべきだと思います。
もし、元気な時にそのような話をする機会があって、本人の意思をご家族が聞いているのであればそれに従うのが一番だと思います。
また、リビングウィルなどが残っているのであれば、それに従うのが一番です。
リビングウィルについてはこちらの記事をご参照ください
リビングウィルなどがなく、本人の意思が分からない場合が困ります。
ご家族が「1分でも、1秒でも、長く生き続けてほしい」という考えだったり、最後の最後まで治療の限りを尽くすべき、という考えであれば延命治療を選択すればよいと思います。
でも、もう十分生きただろうし、寝たきりの状態で息だけしている状態で生かされているのを見るのも忍びないという考えであれば、延命治療をしないという選択もありだと思います。
そして、延命治療をしないという選択をしても、決して自分を責めることはないと思います。
石飛氏は次のように語っています。
我々にとって、家族にとって、何もしないことは心理的負担を伴います。口から食べられなくなった人に、胃ろうという方法があるのに、それを付けないことは餓死させることになる、見殺しだと考えます。栄養補給や水分補給は人間として最低限必要な処置だ、それを差し控えるのは非人道的だと思ってしまうのです。しかしよく考えてみてください。自然死なのです。死なせる決断はすでに自然界がしているのです。少なくとも神様は責めるはずはありません。医師も家族も「自分が引導を渡した」ことになりたくないなどと思うのは錯覚に過ぎません。
引用元:石飛幸三著 『口から食べられなくなったらどうしますか「平穏死」のすすめ』
自分の最後を考える
今、自分が親の終末期を迎えている方は、あと10年、20年、30年後にはご自分が終末期を迎えることになります。
あなたは、どのように終末期を迎えたいですか。
一度考えてみてはいかがでしょうか?
そして、それをリビングウィルという形で残しておけば、あなたの息子さん、娘さんは同じように悩むことはないと思います。
リビングウィルは何度も書き換えることは可能です。
これを機会に一度作ってみてはどうでしょうか?
まとめ
言語聴覚士は、食べられない人を少しでも食べられるようにするのが仕事であり、やりがいであり、喜びです。
でも、どうしても食べられない人、食べようとしない人に出会います。
石飛氏の本を読むまでは、そういう方に出会うたびに自分の無力感に苛まれていました。
また、食べることは生きることに直結します。
あの手この手を使って、なんとか食べてもらうために最善は尽くします。
でも一方で、食べようとしない方に無理に食べさせることは、どうなんだろうか…とも悩みます。
石飛氏の本を読み、本人がどうしても食べようとしない、食べられない場合は、その方の寿命であり、もう食べることを必要とされていないのだ、と理解することで、また違った角度からアプローチをすることができるようになりました。
今私は実際の臨床場面で、口から食べることを本人が拒否され、家族が延命治療を望まれなかった場合、口から食べることをを無理強いすることはせず、ご本人と、ご家族が最後に食べたいもの、食べさせたいものを味わってもらうようにしています。
主治医から許可を頂き、大好きだったお酒をなめて頂くこともありました。
ご家族の方が延命治療をするか、しないかを悩まれる場面も今まで多く見てきました。
始めは何もしないと決めても、悩んだ挙句、栄養を入れる決断をされた方もいます。
どちらに決めても「これでよかったのだろうか」と悩むことは変わりないのかもしれません。
正解はありません。
そんな悩んでいるご家族にとって、もし「何もしない」という選択をされても、少し気持ちが軽くなることを願って、この記事を書きました。
そして、少しでも多くの方がリビングウィルを残すということで、このようなことで悩む人が少なくなるのではないかと思っています。
摂食・嚥下障害についてさらに知りたい方は、こちらの記事を合わせてご覧ください。
口から食べられなくなった場合の延命治療についてはこちらの記事をご覧ください。
こちらの記事は2018年2月1日きらッコノートさまにご紹介頂きました。ありがとうございます!
介護士さんに是非読んで頂きたい、摂食・嚥下についての記事や認知症についての記事をこちらにまとめました。
こんにちは!チャリオです。記事拝見しましたよ。
チャリオさん
記事をお読みくださって、ありがとうございます!
お役に立てたのなら光栄です。
初めまして、Facebookにコメントさせて頂きました。とても興味深く記事を読ませて頂きました。言語聴覚士さんの情報発信は貴重です。未だ未だ日本では数も少なく、役割も知られていない現状と思います。高齢者の介護を20年以上している家族です。これから勉強させて下さい。どうぞよろしくお願いいたします!
大島さま
こちらのブログにも、Facebookにもコメントをありがとうございます。
こうして応援を頂けると、また頑張れます。
必要な方に必要な情報が届くよう、全力で記事を書いていきますので、今後ともご覧頂けると嬉しいです。
介護者からの意見、記事テーマへのリクエストなどにもお応えしていきたいと思っておりますので、またコメント、お問い合わせなど頂ければ幸いです。
本当にありがとうございます!
つばめ様
初めまして
STの方からお話を伺う機会が少ない為、とても有り難く拝見しております。
母(84)は施設での窒息事故(食事中)により蘇生後の意識障害が残り、気切や胃瘻造設を行いました。
リビングウィルについては確認していなかったのですが、孫の受験までは頑張りたいと申していた事や、娘の私も未だ感謝の気持ちをしっかり伝えられていない事等から
諦め切れずにこの様な処置をお願いした次第です。
退院後はまた施設に戻る予定ですが、ただ寝たきりにしておくのは忍びなく、訪問マッサージにより拘縮予防や覚醒に効果が有るとされる経穴への鍼灸等もお願いしようと思っております。
本当は嚥下訓練を最優先にして、再び経口摂取が可能となる事が一番の願いなのですが、いつ意識が戻るともわからない母にはどうする事も出来ず歯痒い思いです。
パーキソニズムの強いレビーでしたので、会いに行った時はなるべく会話をしたり、パタカラ体操を促したりアイスマッサージを試みたり、素人ながら口腔機能の維持に努めていたのでとても残念です。
やはり意識障害の有る高齢者には、最早為す術が無いのでしょうか?
長々と、乱筆乱文お許しくださいませ。
Wケアさま
ブログ運営者のつばめです。
記事をお読みくださりありがとうございます。
ご家族で口腔リハビリなども積極的にされていた中での窒息事故、本当に残念な思いでいらっしゃることと思います。
実際にお母さまの状態を拝見しているわけではないので、具体的なアドバイスはできませんが、やはり口から食べるためには最低限、
・意識を保つことができる状態であること
・食べるという意欲があること
の2つの条件が必須になると思います。
今後お母さまがどのような経過になるかは分かりませんが、いつかその時は来ます。鍼灸やマッサージなど、Wケアさまが今お母さまにしてあげたいことをしてさし上げたらよいのではないかと思います。
意識障害がある方でもお耳は聞こえていると言われます。
会いに行かれた時に話しかけたり、感謝の気持ちを伝えることは今しかできないことだと思います。
ご参考になれば幸いです。
つばめ様
お忙しい中、お返事有り難うございました。
確かに、意識を保つ事が先決ですね!
焦らず前向きに、そして後悔する事の
無い様にして行きたいです。
STの方々による働きかけが、利用者本人
そして家族にとって如何に有難いか…
まだまだ認知度は低いと思うので、私も微力ながら周囲に広めていく所存です。
また遠からず、ご助言いただく機会も有るかと思いますが、その際はどうぞよろしくお願いいたしますm(__)m
運営者のつばめです。
言語聴覚士としてもできることが限られる中、Wケアさまのようにおっしゃっていただけると、日々の業務の励みになります。
こうしてこの記事にコメントを頂いたことで、他にも同様に悩んでおられる方の参考になることと思います。
本当にありがとうございました。
どうか、今を大切になさってください。
一昨日、83歳になる父親の胃ろうは行わず、最低限の水分を抹消点滴で行うよう、医師相談して決めてきました。余命はあと数週間と言われ、決めたあとでも「見捨てたのでは」との心の葛藤があり、このあとどういう経過をたどるのか心配でしたが、つばめさんの記事を拝見して、心が少し気持ちが楽になったような感じがしました。
また、医師からは言語聴覚士の方が、父親の嚥下訓練を何度もやっていただいたことを聞きましたが、正直、言語聴覚士の方のお仕事内容を存じていなかったので、そのご苦労もこの記事を拝見して分かりました。本当に感謝いたします。ありがとうございました。
運営者のつばめです。
コメントありがとうございます。
言語聴覚士としてマサノブさまのお父さまと同様のケースは何名も診ています。
もう食べられないという現実を受け入れるご家族のことを思うと本当にやるせない思いです。
少しでもブログを読んで心が楽になられたのであれば光栄です。
どのような選択をしても、「これでよかったのだろうか」という思いはされるのだろうと思います。
どうかご自分を責めることなく、お父さまとの時間を大切になさってください。